Not only is the Internet dead, it's starting to smell really bad.:2021年08月10日分

2021/08/10(Tue)

[漫画] 久米田康治/かくしごと(その1)

前回の続き 、劣化と暑さで文章力壊滅状態なので筆進まねえから一気に書き下ろさずに何回かに分割してな。

@なぜ姫は江ノ電に乗ったのか

姫が父親である可久士の隠し事を知るために乗った電車は 撮り鉄の醜態で話題となってる江ノ島電鉄300形だけれども、これは「さよなら絶望先生」第十六集 第百六十話「最後の、そして始まりのエノデン」のセルフオマージュ。

まぁでも「エノデン」というのは、 とあるウェブ小説のタイトルのもじりでしかなく「エデン→エノデン」という言葉遊びでしかない。 そもそもこの回に登場するのは江ノ電ではなく南満州鉄道の「特急あじあ」だしね。

それでも「かくしごと」という作品に「江ノ電」が登場したとなれば、古くからの久米田作品ファンは「エノデン」を思い出すわけでこれは意図的なものだと思う。

このエノデンという話は「さよなら絶望先生」という作品の 中だるみほぼ中盤に位置するのだけど、最終回へ向けての伏線というか「この作品の終着点はどこなのか」を暗示した重要な話である、 まぁギャグは百見様「ん、いつも通り」のしょーもないオチ(誉め言葉)なのだけど

この回が異質なのはいつもの教室が舞台ではなく、風浦可符香以外の生徒が一切登場しないこと(これは第一話の冒頭を除いて初のはず)。

異国情緒どころかどこか異世界じみた *1駅ターミナルそして列車の中で繰り広げられる、望と可符香のふたりきり(望を常時ストーキングする常月まといすら登場しない)の会話劇だ(唯一の例外は最終回で重要なネタバラしの役を担う新井智恵先生だけ)。

勘のいいひとは、これが宮沢賢治「 銀河鉄道の夜」のオマージュであり、ここは銀河ステーションと銀河鉄道であって、望はジョバンニであり可符香はカンパネルラであることに気づく。 そして現実世界に戻った時、可符香はカンパネルラと同じ運命をむかえるのではと疑念を持ったに違いない(まぁ未読の読者のためにこれ以上のネタバレは止めておこう)。

そう18歳編で姫が江ノ電に乗る決意をしたということは *2、「かくしごと」という物語の終着駅へ向けて出発することを決意し、そこには何らかの悲劇が待ち受けていることが暗示されているわけだ。

@中目黒と鎌倉のお家

この物語の舞台は10歳編は中目黒そして18歳編は鎌倉の、どちらもちょっとオンボロなお家となっていて、なぜ中目黒と鎌倉にまったく同じ作りの家が建っているかについては原作の最終回まで引っ張られた謎になっている *3

しかしメタ的な意味での中目黒と鎌倉のふたつの我が家というのは、もう古くからの久米田作品ファンにとっては笑っちゃうほどに明らかなんですわ。

久米田先生はかつて小学館「週刊少年サンデー」に連載を持っていたけれども、新編集長の方針により突如として連載途中の「かってに改蔵」が打ち切りとなってしまったのだよね *4。 そして 大人のキッザニア送り無職となった先生は当時としてはあまり前例のない講談社「週刊少年マガジン」への移籍を決め、 改蔵のキャラだけ入れかえた焼き直しといえる「さよなら絶望先生」の連載を開始することになる。

そう、メタ的には「鎌倉の家=週刊少年サンデー」、「中目黒の家=週刊少年マガジン」なんだよね。 どっちも同じ曜日に発売される中身もたいして変わらない、そんで集英社「週刊少年ジャンプ」には部数でかなわないオンボロ雑誌ということなのだ。

ちなみに「かくしごと」と同じように漫画家のキャリアを我が家に例えるというネタは、「さよなら絶望先生」第十六集おまけ漫画「罪期の家」ですでにやっているネタでもある。 これは「 つみきのいえ」という短編アニメーションのパロディ。 J.G.バラード「沈む世界」のように海面が上昇し続け家を建て増しし続けないとおぼれ死んでしまうという世界で、ある日海面下に沈んだ家に潜ってみたら懐かしい家族との思い出が蘇ったという話。

なお久米田先生の場合、潜れば潜るほど楽しい思い出どころか過去の恥ずかしい漫画が出てきて羞恥のあまりどこまでも沈んでいくという、いつもの 小学館への恨み言自虐漫画。

ということでこの頃から漠然と「かくしごと」のアイデアの土台はもうこの時期からあったことが判る。

そこに気づくと、可久士は久米田先生の自己投影 *5であるのは当然として、鎌倉の家に帰ってくることができなかった妻は打ち切りの「かってに改蔵」であるし、中目黒の家ですこやかに育った姫は「さよなら絶望先生」という作品のメタファーでもあることに気づくわけだ。

そんでもうひとつ、「かくしごと」と同時期に久米田先生が白泉社「楽園~La Paradis」で連載していた 「かってに改蔵2」「スタジオパルプ」で、鎌倉のお家に結婚した改蔵と羽美そしてふたりの娘(髪型が姫そっくり)が暮らすという、もし「かってに改蔵」が打ち切られなかったらというIFがあるのでそちらもどうぞ。 なお単行本既刊分には未収録かつ続刊は絶望的なので、本誌バックナンバーを揃えんとならんけどな!

@姫とは誰なのか

ここまで理解すると、なぜ姫のクラスメートが皆「さよなら絶望先生」に登場した生徒たちの流用であるのかの理由がわかる、とどのつまり姫が「さよなら絶望先生」という作品の擬人化だからだ。 久米田先生はインタビューでしれっと「(絶望先生で)ネギま!に対抗すべくキャラを粗製濫造したらネタが切れた、才能の無い漫画家がキャラ再利用するくらいは許してよ」などと自虐にふって煙に巻いてたけど、必然性があっての再利用なのよね。

ちなみに姫のクラスメートで例外的に絶望先生のキャラ再利用でないのは、お誕生日会お呼ばれ回(5巻第52号「残念記念組」)の主人公であるアユだけなのだが、これは後に遠くに引っ越して離れ離れになってしまうからの例外案件ってこと。

なおアニメの方では姫11歳誕生日(11話)にアユを再登場させる改変してしまっとるので、監督と脚本はまったく話を読み取れてないあるいは意図的に無視したんだろう、去年アニメほんとここで萎えてしまった。 そもそも「(大事な人はいつか目の前からいなくなってしまうかもしれないのだから)祝える時に祝っておけ」っていう物語のテーマというか最終回へ向けての伏線が消し飛んでんだよな、ほんとひで。

原作では他にも姫が「さよなら絶望先生」でという作品の擬人化であることがわかるエピソードはいくつもあるし、姫を通じて読者に伝えたかった事がみえてくるのだけど、それはまた後の回にて。

@次回

次がいつになるかは判らんけど、生きてればまぁぼちぼちと最終回まで書きたいですね、いつものごとくいきあたりばったり人生ですが。

*1:アニメだと原作絵を完全に無視してヤン・シュヴァンクマイエルらの東欧ロシア風シュールレアリスムアニメ調になってる。
*2:ちなみに10歳編のプチ家出回(7巻第38号「家出にちんぷんかんぷん」)では途中で引き返してしまっている。
*3:これアニメだとカット、そんで映画での補足でようやっと判明するので、作品の評価が下がるポイントになってるのほんとアレ。
*4:まぁ26巻まで続いてれば円満終了でも不思議ではなく、打ち切りそして小学館追放というのはプロレスネタの可能性はある。
*5:インタビューで散々「(可久士の)モデルは自分じゃない」と否定し続けてたのだけど、最後に舞台挨拶で可久士のコスプレしてきたのはそういうことよね。