2018/04/02(Mon)
○[音楽] Bill Evans/You Must Believe In Spring (Amazon Prime Musicで聴く名盤 その1)
今回はBill Evansの死後にリリースされた追悼盤というべきアルバム「 You Must Believe In Spring(また巡り会う春)」、ちょうど春だしね。
どうにもAmazon Prime Musicのプレイリストの埋め込みが正常にできないので視聴は こちら。
@You Must Believe In Spring
アルバムタイトルの2曲目は映画「 Les demoiselles de Rochefort(ロシュフォールの恋人たち)」の挿入歌、Tony Bennettとのアルバム「 Together Again」でも取り上げている。
冬の寒さに耐え忍んでいる時、春は待ち遠しい季節ではある。しかしある人とっては春とは地獄の季節だったりもする、例えば花粉症の人とかね。
自分はここ数年まったく春のスギ花粉アレルギー症状が出ていない、数年前に長いこと医者通いして慢性的な消化器系の病気を治療した副産物なのか理由は判らないけれども。
花粉症とお別れしたことで春はとても楽しい季節になった、外に出れば沈丁花の甘い香りで満ちているのを感じることができるしこの先ツツジや藤の香りも漂ってくるだろう。
それでも今年の春は例年に比べて飛散量多いようで、眼や喉の奥を掻き毟りたくなる瞬間を感じることも数度はあった、もはや懐かしいという感覚ですらある。
自分はアレグラはどうにも効かない体質だったようで、症状が酷かった頃はパブロン鼻炎カプセルをガブ飲みしてたんだけどあれ結構な量の無水カフェイン入ってるんで、頭はフラつき常時熱っぽくなるし何よりぶっ壊れてた消化器系に与えるダメージが半端ない。
かつてストレスしかない職場にいた頃、H2ブロッカー胃腸薬をキメて胃の血管が切れた痛みを誤魔化しながら、血圧低下からくる悪寒に襲われても翌日にやってくる高熱に備えてロキソニンをチャンポンするような日々であったものである。 穿孔で中身漏れて死んだらしゃーないと自嘲気味に「ビル・エヴァンス健康法」と呼んでいた。
@Theme From M*A*S*H (Aka Suicide Is Painless)
彼は長年の麻薬常習から肝硬変を患い出血性潰瘍で死ぬ前日まで周囲に懇願されても病院で治療を受けようとはしなかった、それは「緩慢なる自殺」と評されているほどだ。
死の数年前からライブでは繰り返しコメディ映画「 MASH」の陰鬱な主題歌「 Suicide Is Painless(もしも、あの世にゆけたら)」のジャズアレンジを演奏し、死が近づくほどに演奏は荒々しくそして刹那的な美しさを帯びていった。
このアルバムの7曲目は同曲のスタジオ録音であり、彼がレパートリーに入れてからそれほど時間の経っていない初期の頃の演奏でまだ荒々さとは無縁である。
しかし死の直前である1979年ドイツのTreffpunkt Jazz Festivalで行われた演奏となると、曲が中盤にさしかかる頃には原曲のメロディを崩しドラムのテンポを無視したコードの連打で、そこらのロックバンドすら顔負けの疾走感すらある。
このバージョンが一番好きなんだけど、公式リリースされておらずラジオ放送用のオンボード録音がブートレグとして売られてるだけなのがとても残念。
そして同曲の最晩年のライブ映像、病気の影響でパンパンに腫れあがった指はもつれ彼とは信じ難いほどミスタッチを連発している。
しかしそれでもなお美しい。
@B Minor Waltz (For Ellaine)
彼はなぜ「緩慢な自殺」を選んだのか、1973年に鉄道自殺を遂げた前妻のEllaine Schultzに対する罪の意識などという解説をよくみかけるんだけど、これは彼を美化し過ぎな気がしないでもない。
1975年のアルバム「Intuition」では彼女に「Hi-Lili, Hi-Lo」という曲を捧げている。 これは映画「 Lili」の挿入歌をジャズアレンジしたもの。
Liliという少女が手品師Marcとの失恋とサーカスの仕事をクビになったショックで絶望し、テントの天井から身を投げようと梯子を登りはじめた所を、人形遣いPaulが止めようとするシーンでこの曲は流れる。
もちろん彼がこの曲を選んだのは映画と同じように彼女が自殺を思い止まってくれたならという思いはあるのだろうけど、そもそもEllaineが地下鉄に身を投じたのはBillの浮気と彼女の不妊を理由にした一方的な離縁が原因だった。
LiliがEllaineであるならBillは彼女を助けたPaulではなく裏切ったMarcでしかないわけで、なんともまぁ皮肉な選曲としか言いようがない。
そして1曲目「B Minor Waltz (For Ellaine)」は再び彼女に捧げられた自作曲だけれども、「ロ短調ワルツ (Ellaineのために)」というタイトルからは何の情報も読み取れない。 彼のアイコンとなっている厳しいポートレイト写真のように口を堅く閉じ、後は音楽に訊ねてくれといわんばかりである。
彼女はニューヨークの地下鉄レキシントン通り線96丁目駅で列車に飛び込んだという、彼が一番気に入っていた服に身を包んで。
@We Will Meet Again (For Harry)
Stanley Kubrickの映画「 Dr. Storangelove(博士の異常な愛情)」のエンディングで有名な曲とよく似たタイトルだけれども、これはまったく別の曲でBill作曲のもの。
BillがEllaineの自殺を知った時、パニックになりながら電話をかけたのは幼少の頃から頼りにしていた兄のHarryだという。
しかし彼もEllaineと同じように自殺を遂げてしまった、そしてBillは彼に捧げるアルバム「 We Will Meet Again(また会いましょう)」を発表した。
多くの人が勘違いしているけれども、Harryに捧げた同曲の録音は「We Will~」でなく「You Must~」に収録されたものが先であり、この1977年の時点ではまだHarryの自殺は予見できなかった。 なので「また会いましょう」とは決して「また(あの世で)会いましょう」の意味ではなく、BillがHarryの後追いで「緩慢な自殺」を図ったわけではない。
彼の生前最後のアルバムとなった「I Will Say Goodbye」、これも遺書めいたタイトルで先の勘違いを助長するものなのだけれど、これも録音は1977年であって長らくリリースされなかったものだ。
じき1980年代に差しかかろうとする時期にもはや彼のような古いスタイルのジャズは誰にも省みられず終わってしまった音楽ジャンルであった(時代はジャズファンクやフュージョンだった)、このアルバムもお蔵入りで彼の死がなければ発表されることも無かったであろう。
Harryもまた優れたジャズピアニストだった、彼は安定した音楽教師としての道を選んだけれども、わずかではあるが残されている彼の演奏を聴けば明らかだ。
彼の残したアルバム2枚分相当の録音は、彼の息子のサイトで無料で聴く事ができる。
しかしHarryは昼の音楽教師と夜のジャズピアニストとしての二重生活の負担から精神を病んでしまう。
春が地獄の季節なのは花粉症の人だけじゃない、木の芽時はというくらいで精神を病んだ人にとっては不安定になりがちな時期でもある。 統合失調症に苦しんだHarryは1979年の春に拳銃自殺を遂げてしまう。
HarryはBillの目指したものより大衆的なジャズも好んで聴いたという、ジャズではなくイージーリスニングと叩かれる事も多いAhmad Jamalなんかもお気に入りだったという。
そしてArmad Jamalも「Theme From M*A*S*H (Suicide Is Painless)」を幾度と無く演奏している、これは1973年のアルバム「Jamerica」に収録されているもの。
おそらくBillがこの曲を取り上げたのは、Harryの影響だったのではないかと思う。
@Sometime Ago
6曲目はアルゼンチンのピアノ奏者Sergio Mihanovichの曲で、Sergio Mendesのカバーなんかが有名。
原曲の歌詞を読むと、Billが感じていた閉塞感がみえてくるような気がする。
遠い昔の話だけど、自分には夢があった それはとても幸せなことで、永遠に続くと思っていた 何者にも束縛されなかった 今となっては、さっぱり判らない どうしたら追いかけていた夢を、どうやって生きていくための糧とできるのか
彼が「緩慢なる自殺」に走らざるをえなかったのは元妻や実兄の後追いというより、生涯を賭けたジャズという音楽が終焉を迎えようとしている中で、他にどうしようもなかったからなのだと思う。
前述の通りレコーディングはすれどお蔵入りになるアルバムも多く、健康を害しながらのライブ演奏での日銭稼ぎには限界もあった。 大部分はドラッグへの浪費という自業自得な原因ではあるんだけれども、経済的に困窮してしばしば金銭トラブルもあったという。
今は冬の寒さに耐え忍ぶ時、また春がやってくるという希望を彼は持ち続けることができたのだろうか?