The Man Who Fell From The Wrong Side Of The Sky:2017年5月26日分

2017/5/26(Fri)

[映画][音楽] Grant Gee/Joy Division

これはマンチェスター出身のバンド、ジョイ・ディヴィジョンに起きた悲劇を追ったドキュメンタリー映画だ、自分はおよそ10年前(もうそんなに経つのか…)に渋谷の小劇場で上映かかったのをギリギリ最終日に観た。

彼らを襲った悲劇、それは成功を目前とした初のアメリカ・ツアーに出発の前夜に起きた。メンバーのイアン・カーティス(Vocal)は自宅で首吊り自殺を図り、その死によってバンドはそのまま終焉を迎えた。

この映画の後日談となる話だが、残されたメンバー達は生活の為に演奏を続ける他になく新しいバンドの名前もまだ決まらぬままステージで

僕の友達は今日来れませんでした、ここに居るのは這い回る混乱からの唯一の生き残りです(Our mates couldn't make it, we're the only surviving members of Crawling Chaos)

この悲劇をクトゥルフの邪神の渾名に例え、そしてイアンが残していった曲を歌った。

残った中で一番歌がマシなバーナード・サムナー(Guitar)がVocalも兼任することになったが音程とくにライブは壊滅的で、新バンドの最初の10年は「史上最も音痴なバンド」とまで称される事になる。

監督のグラント・ジーという人はU2やレディオヘッド(彼らも熱心なジョイ・ディヴィジョンのファンだ)のPVなどを手掛けた映像作家で、インタビュー場面ですらも気を抜かず映像と音響のクオリティは高い。バンドが活動していた70年代から80年代にかけてのマンチェスターという街を記録した8mmフィルムの映像を集めそして丹念に繋ぎ、消えた風景ををスクリーン上に再構築している。

ちなみにインタビューの内容そのものはこの前年に撮影された別の監督によるドキュメンタリー「 Shadowplayers」の方がより詳細な内容なんだけど、なにせ関係者の自宅でホームビデオ回しただけの体裁であってマニアにしかお勧めはできない。

同年にはやはり同じ悲劇を題材とした映画「 Control」が上映されている。

監督はアントン・コービン(こちらもやはりU2のPVで有名な映像作家で、これまでもジョイ・ディヴィジョンのPVも手掛けている)、面白いことに興行的リスクもあっただろうにこの映画をカラーでなくモノクロで撮影した。その理由として彼の記憶しているマンチェスターはモノクロだったからと述べている。また再現ドラマなので失われてしまった風景はよく似た別の場所で撮影されてるし、ドラマとしての脚色もある。ピーター・フック(Bass)曰く「95%事実だ」そうだ。

イギリス人であり自分も同時代を同じ場所で過ごしたグラント・ジー監督に対して、アントン・コービン監督はオランダ人の異邦人で写真家としてモノクロ写真のフレームに彼らを収めてきたの視点の違いがそこにはある、比べて鑑賞するとそこも面白い。

彼らバンドの歴史の中で、イアン・カーティス、そしてマネージャーのロブ・グレットン、プロデューサーのマーティン・ハネットといった仲間達を失ったように *1、マンチェスターという街もまた数多くの風景を失なった。

ドキュメンタリーの冒頭、スティーヴン・モリス(Drums)がマンチェスターについて「レンガ積みの住宅街がやがて瓦礫の山となり、コンクリートの要塞が作られ未来的に思えたけども、やがてそれもコンクリートが腐り醜悪になった」と語る場面、ここで映し出される映像はイアン・カーティスの実家であるビクトリア・パーク・エステートという集合住宅である。

Victoria Park Estate, Macclesfield

Victoria Park Estate, Macclesfield

ここもすでに取り壊された過去の風景であり、映画「コントロール」のオープニングは別の場所でロケしている *2

マンチェスターの建築家団体らが設計したこのレトロ近未来的な建物は、60〜70年代のいわゆる プレハブ工法による巨大な集合住宅であり、マックルズフィールドという衰退した紡績の街に立ち並ぶ旧来のレンガ積みの低層住宅の中では異形の存在だったことは想像に難くない。

今の日本も不況による製造業の空洞化で、海外に逃げ出した工場の跡地にグロテスクなタワーマンションが雨後の筍のように建っている真っ最中。そして自分が育った街も日本の高度経済成長の最中に全国で判で押したようなデザインで作られたプレハブな集合住宅だから強いデジャヴュを感じるシーン。

それ以外にも数多くの「すでにない場所」がこのドキュメンタリーには記録されている。彼らが初めてライブをしたライブハウス「エレクトリック・サーカス」、デヴィッド・ボウイの曲からバンド名をとり「ワルシャワ」の名前で参加し、ネオナチバンドと危険視されるような発言をステージ上で飛ばし、時にはスキンヘッドとの乱闘にまで発展した。

そして自主制作のデビューシングル(音は最悪だ)を持ち込んだレコード店「ピップ」、そしてギグの依頼も無いままひたすら練習と曲を書き続けた練習スペース(彼らの代表曲ラブ・ウィル・テア・アス・アパートにも登場する)「リハーサルルーム」、同じパンクムーブメントのバンドでしのぎを削ったライブハウス「ラフターズ」などが次々と画面の登場する。

最も印象的なのは自主制作8mmフィルム「 No City Fun」の映像だろう、イベントで一度だけ流されただけでこれまで一度も流通に乗ったことはないようで、私も観たのは初めてだ。

このフィルムは同人誌「 City Fun」に寄せられた、パンクという音楽ムーブメントとマンチェスターという街の関係性について書かれた記事を元に、ジョイ・ディヴィジョンの曲をバックにマンチェスターの街並みの映像のコラージュが映し出される。

イギリスの産業革命はマンチェスターからはじまった、そして紡績産業が栄えたもののやがて不況で衰退してしまった。マンチェスターの名前が最後に新聞に載ったのは、1963年から1965年にかけて全英を恐怖に陥れた ムーアズ殺人事件くらいと揶揄されるくらいである( 先日の記事でも書いた)。

この事件の犯人のひとりで先日獄中死したイアン・ブレイディは文学趣味をきっかけにネオナチ思想に染まったという、これは不況下のマンチェスターでは珍しい話では無かったようだ。日本のインターネットでもちょいと石を投げればネットウヨサヨに当たるみたいなもんだ。

そもそもジョイ・ディヴィジョンの連中もバンド名からしてナチスの慰安施設を指す隠語だし、初めて作った自主制作レコード( An Ideal for Living)のジャケットはヒトラーユーゲントだし、一曲目「Warsaw」のオープニングの乱数カウントダウンはルドルフ・ヘスの囚人番号だという。

なのでモリッシーが(元相棒のジョニー・マーとは対照的に)インタビューで同郷のジョイ・ディヴィジョンに関する質問には、徹底して音楽的無関心と人格への不快感を示したのはこの初期のネオナチ趣味のせいだろうね。

またブレイディともうひとりの犯人ヒンドリーの屈折の原因としては幼少期の家庭内における虐待が挙げられるが、モリッシーは「残忍性は家庭で植え付けられる(Barbarism Begins At Home)」という曲を書いてるように、この凶行の原因をマンチェスターという環境に求めるだろうことは想像に難くない。

マンチェスターの不況と停滞、そして住人の心の荒廃という環境因子があったからこそ「Suffer Little Children」の歌詞で

マンチェスターよ、お前は償うべきことが多過ぎる(Oh Manchester, So much to answer for)

とモリッシーは歌ったのではないか。

そもそもイアン・カーティスが死を選んだのも、悪化する一方の持病のてんかん発作でバンド活動が困難になった事や経済的な苦境と結婚生活の冷え込みから自分の将来に悲観した為といわれている。

彼が最後にTVで観た番組はヴェルナー・ヘルツォークの映画「 シュトロツェクの不思議な旅」で、ストーリーは大道芸人がアメリカへ渡るも一文無しになり銀行強盗も失敗し自殺するという陰鬱な映画だ。 明日からアメリカツアーに出かける自分の姿の将来もこの大道芸人のような失敗になるのではないか?

そして彼はイギー・ポップのアルバム「イディオット(愚か者)」を流しながら縊死した、彼の死にマンチェスターは償うべきことはなかったのか?

話を戻そう、産業革命と連続殺人事件に続いて再びマンチェスターの名前を世界に知らしめることになったのは、このパンクを着火点として90年代に頂点を迎えた「マッドチェスター」「セカンド・サマー・オブ・ラブ」などと呼ばれる音楽×ドラッグの一大ムーブメントであり、前述の「City Fun」の記事はその未来を予見するものだった。

新しいバンドはイアンの死んだ翌日の陰鬱な気持ちをよりによって能天気なディスコビートに合わせて歌う「Blue Monday」の世界的なヒットで成功を手中にした。

そしてその稼ぎを全て注ぎ込んでマンチェスターが世界の音楽の中心となるきっかけの一つになったクラブ・ハシエンダの運営をはじめる、それはもうデタラメとしか言いようのないほどの放漫経営で。

その顛末は映画「 24 Hour Party People」が詳しいので省略するが、それは清々しいくらいの笑える破綻劇である。

ハシエンダはこの映画の撮影中に再開発業者によって取り壊され(解体工事の写真はニュー・オーダーを脱退したピーター・フックのEP「 1102|2011」のジャケットとして使われている)跡地は高級アパートメントになっている。

どんなムーブメントにも終わりがある、しかしその熱が去った後もマンチェスターは「音楽の街」として世界的な知名度を保ったままであり、もはやビートルズのリバプール、ストーンズのロンドンの陰に隠れることは無い。ハシエンダ閉店と入れ替るようにオープンしたマンチェスター・アリーナは2000年代において「最も忙しいコンサート会場」と言われるほどになった。

しかし今週まさにそのマンチェスター・アリーナを狙いムーアズ殺人事件すら霞んでしまうような大量殺人事件が発生し、再び世界中の新聞がマンチェスターの文字で埋まってしまった。

実行犯は両親はリビア移民の両親とマンチェスターで生まれ育った価値観の相違による軋轢と大学生活からの落伍によって過激な宗教思想へ傾倒と報道されている。 半世紀経ってもまた同じ理由だ。

またしてもマンチェスター、いや世界は償うべきことが多過ぎる。

*1:そしてこのドキュメンタリーから10年も経ち、インタビューに答えるレーベル経営者のトニー・ウィルソンとイアンの彼女アニーク・オノレも故人となってしまっている。
*2:劇中ではアビー・コートという名前になってるけどこれはロケ地そのままなのかな