The Man Who Fell From The Wrong Side Of The Sky:2017年5月14日分

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2017/5/14(Sun)

[映画] Wim Wenders/Don't Come Knocking(2005)

ヴェンダース監督の「アメリカ、家族のいる風景(Don't Come Knocking)」をようやく観た。

彼の代表作「パリ、テキサス」以来20年ぶりにサム・シェパードを脚本にタッグを組んだ作品なので、公開当初から気にはなっていたけど未見のままだった。

あの名作のコンビとあって期待値が高過ぎたせいか一般的な評価はあまり芳しくない、自分は好きだけれどね。

そもそも「アメリカ〜」は「パリ〜」の続編ではないのだけれども、同じく彼の代表作である「ベルリン・天使の詩」で、天使ダミエルが人間界に身を堕として一人の女性を愛することで生きる喜びを知るストーリーの続編に「時の翼にのって〜ファラウェイ・ソー・クロース!」でダミエルを羨んだ天使カシエルがやはり人間になるも犯罪に加担するまで落ちぶれ、贖罪として命を落とすというバッドエンドを持ってきて低評価を受けたのとよく似ている。

一般受けはどうしてもロマンティックな方に軍配が上がっちゃうからこれはもう仕方がない。

「パリ〜」は共依存に陥った男女が人生もろとも破綻し、ふたりの関係はもう戻らないけれどもまだ幼い息子とだけは家族の絆を取り戻すという、こちらもロマンティックな話なんだけど、「アメリカ〜」は放蕩の限りを尽くしてきた男がミッドライフ・クライシスを迎え、それまで存在すら知らなかった子供をダシに過去の女に縋ろうとし拒絶される話で、人生経験の豊富でない若い男女が観て感動する話ではないのは確かである。

しかし同年に何かと比べられることの多いジム・ジャームッシュ監督もストーリーまる被りの「ブロークン・フラワーズ」を撮影してるんだけどシンクロニシティだね。 こういう役を演じさせるならサム・シェパードよりもビル・マーレイの方が向いてるし、そこがそれぞれの映画の点数の差なんだろう。

オープニングは アーチーズ国立公園の、まるで神の両眼かと思わせる洞窟からのぞく青空、そして大自然が作り出した砂岩のアーチの下を、主人公の西部劇俳優ハワード(サム・シェパード)が馬で疾走するシーンからはじまる。

「パリ〜」も人間の存在を許さないかのような虚無が支配するモハビ砂漠を、僅かな水も尽きてなお一心不乱に歩く主人公トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)から物語はスタートした。

トラヴィスの行動は自殺行為ではあるけれども彼は死にたいわけじゃない、死んだ父母が結婚し自分を生んだ地(テキサス州パリス)、そこにはかつて気まぐれで通信販売で購入した空き地があり、そこへたどり着ければまた人生をやり直せるといういわば双六の「振り出しに戻る」という行為に妄執するがゆえの行動。

一方でハワードの行動はより短絡的かつ破滅的であり、映画の撮影現場から逃亡しあわよくば落馬事故で死んでしまいたいという自殺衝動。 「ライト・スタッフ」でサムの演ずるチャック・イエーガーが死をも恐れぬ自身のテストパイロットしても勇猛さの誇示に馬を走らせた演出との対比をも感じさせる。

砂漠で一夜を明かしひとまず憑き物が落ちたハワードは馬と身にまとった派手なカウボーイ衣装を捨て、身を隠す先として母の住む故郷へと決めるけれどもそれは思いつきでしかない。トラヴィスが弟ウォルトに何度も引き戻されようが隙あらば逃げ出し向かおうとしたパリスほどの思いは無い。

ハワードのロケバスには

こっちくんな(Don't come knocking)

の文字、これもドラヴィスが行き倒れた砂漠を越えた先のバーのカウンターに掛けられた

砂埃まみれ(の店)、座るでも立ち去るでも何でもご自由に(The dust has come to stay. You may stay or pass on through or whatever)

の看板 *1を思い出させる。これまですべてを拒絶してきた男ハワードと、翻弄され流されるままだったトラヴィスとの性格の違いを表しているのだろうか。

ハワードはどこからか車と携帯電話を手に入れて、夕暮れのハイウェイを走りながら長らく連絡を絶っていた母へ電話をかける。このシーンもトラヴィスがウォルトの運転する車でモーテルへ向かうシーンによく似ている(嵐が訪れる予感をさせる美しい夕焼け)。ハワードの惨めな心境そのままの歌詞を歌う若い男は(まだ物語の上では明かされないが)はハワードの(存在すら知らなかった)息子アール、トラヴィスもこのシーンで彼の失踪後にウォルトが引き取って育てていた息子ハンターの存在が明かされる。

車と携帯を捨てバスで母の家へ向かう道中にハワードは道端で全知全能の神の存在について歌う謎の男とすれ違う、これもトラヴィスがウォルトの元に身を寄せつかの間の安寧を得るけども眠れぬ夜に街を彷徨う折に「どこにも安全な場所など存在しない」と叫ぶ狂人と出会い、今の居候生活を続けることは出来ない事に気づくシーンを思い出させるけれど、いまいちストーリーとの関連性がわからない。

ハワードを追いかけるのは映画会社のエージェントで氷のように冷徹で彼を映画の撮影現場に連れ戻すという任務以外には何一つ興味を示さない男、トラヴィスを追いかけた弟ウォルトが常識人で温かい家庭を持ちとにかくトラヴィスに理解を示すのとは対極である。

字数が尽きた、まだ続くかもしれないし続かないかもしれない何でもご自由に。


*1:ネオアコバンドMexico 70のアルバムタイトルにもなってるね。


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